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東京オリンピック延期 マラソン代表選手の再選考はなし

瀬古利彦リーダー 『 内定者6人の権利を守りたい 』
東京オリンピック開催が延期になったと正式に発表がありました。
すでに代表選手が決まっていた種目もあり、マラソンもその中の一つでした。
日本陸上競技連盟の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、都内で取材陣に対し、『 内定者6人の権利を守りたいと思っている。我々が自信を持って選んだ6人 』などと述べ、オリンピック代表選手に関して再選考はしない方針を示しました。
瀬古リーダーのこの発言は、選手にとって今後一年の大きな支えになることと思います。
▼実際のニュース記事はコチラ
東京オリンピック マラソン代表選手
東京オリンピックにすでに内定している選手は以下の6人になります。
今年のオリンピックに照準を合わせていた選手にとっては大変な一年になるかと思いますが、全力で応援したいですね。
■男子 ( 敬省略 )
中村匠吾 ( 富士通 )
服部勇馬 ( トヨタ自動車 )
大迫傑 ( NIKE )
※補欠選手
大塚祥平 ( 九電工 )
橋本峻 ( GMOアスリーツ )
■女子
前田穂南 ( 天満屋 )
鈴木亜由子 ( 日本郵政グループ )
一山麻緒 ( ワコール )
※補欠選手
小原怜 ( 天満屋 )
松田瑞生 ( ダイハツ )
▼東京オリンピック マラソン日本代表選手内定について 日本陸連の発表記事はコチラ
【 東京2020オリンピック 】マラソン日本代表選手内定について
瀬古利彦リーダーの3度のオリンピック経験とは

瀬古利彦リーダーの【 モスクワオリンピックの悲劇 】とは
日本陸連の瀬古利彦リーダーは自身もかつてオリンピック選手だったという経歴があります。
1980年のモスクワオリンピックに、瀬古利彦氏は代表選手として出場予定でした。
そのころの瀬古利彦氏は絶頂期であり、数々の大会で優勝を飾ってきました。
『 モスクワオリンピックの金メダルは瀬古選手で間違いない!』と誰もが口をそろえて言っていたのです。
ところがソ連のアフガニスタン侵攻によって西側諸国がボイコットし、日本政府も同時に不参加を決定、瀬古選手の出場も自動的に消滅したのです。
目前に迫っていたオリンピックが消滅した選手にとっては、身を引きちぎられる思いだったと容易に想像がつきますね。。
この無念を晴らすかのように、瀬古選手はその後も数々の大会で優秀な成績を収めました。
そして何とまた4年後のロサンゼルスオリンピックの代表権を勝ち取るのです。
瀬古選手の精神力の強さは、当時の人々に大きな感動を与えたに違いありません。
この記事で瀬古選手のこの事実を知ることとなった皆さんも、きっとTVで瀬古リーダーを見たときの印象が変わるのではないでしょうか。
悲願のロサンゼルスオリンピック出場 【 日本中が泣いた惨敗 】
1984年のロサンゼルスオリンピックは何と14位という結果で惨敗でした。
35km から失速をし、走れば勝てるという瀬古選手からは想像もできない姿でした。
瀬古選手はレース後にその年に入ってからの不調を述べましたが、オリンピックまで一切報じられていなかったため、金メダルを期待していた国民の驚きと落胆は大きなものでした。
瀬古選手ももうここまでか、と多くの人が感じたことでしょう。
しかし瀬古選手はこのままでは終わらなかったのです。
4年後のソウルオリンピックでリベンジか 【 ゴールはグリコポーズで9位 】
瀬古選手はロサンゼルスオリンピック後の大会でも数々の優勝を収めました。
そして何とまた4年後のソウルオリンピックの出場権を獲得するのです。
本当にすごい底力ですね。
前回の惨敗で腐ることなく、着々と結果を積み上げていきました。
実質3度のオリンピックの出場権を獲得しているのですから、並大抵の努力ではありません。
『 今度こそは金メダルを!』
国民の期待は一気に瀬古選手に集まりました。
そして、ソウルオリンピックの結果は9位。
瀬古選手の数々のレース戦績からはまたもや想像もつかない残念な結果でした。
しかし瀬古選手は、自身のトップでゴールするときの代名詞【 グリコポーズ 】でゴールを通過したのです。
多くの国民が涙しました。
聞いただけでもうるうるしてしまいますね。。
瀬古選手は数々の大会で優勝を飾ってきた国民的人気ランナーでしたが、唯一オリンピックでのみ入賞を果たすことが出来ませんでした。
3つのオリンピックの経験からも、瀬古リーダーのオリンピックにかける思いが人一倍強いことが分かります。
オリンピック出場が取り消しになるなんて、選手の気持ちを考えたら瀬古リーダーにはありえない選択肢だったのでしょう。
▼瀬古利彦氏のWikipediaはコチラ
東京オリンピック延期 マラソン再選考なし 【 まとめ 】

『 東京オリンピック延期に伴うマラソン代表選手の再選考はなし 』と日本陸連の瀬古利彦リーダーによって発表されました。
この選手ファーストの決定は、瀬古リーダーの3度のオリンピックに基づく過去の経験が大きく影響されたことが想像されます。
過去に同じようなつらい経験をし、選手のことを一番理解してくれるリーダーに、代表に選ばれた選手たちは心強いことと思います。
来年のオリンピックに向けて引き続き努力していく選手たちを、私たちも全力で応援していきたいものですね。